
計画停電の最中、色々とまた"事象"があるみたいです。
阿呆管は何処へ行ったんでしょうね。
TVが真実を伝えずに、歪曲した情報を無駄に垂れ流していますが、皆皆様に於かれましても、充分ご注意の程。
動物の感覚は人並み以上なので、「雲を見て風を感じる」事が出来ますが、今回の災厄の"事象"を画策している連中に飼い慣らされた我々は、第六感と申しましょうか、自分のセンサーを使う事をしなくなっちゃったんだな〜と思います。
東京大学のお馬鹿御用学者達(偏差値の問題では無く、
機微無し野郎という意味です)はいつの間にやら、放射線の単位を「シーベルト」から「ベクレル」とかに挿げ替えてますし、上手〜く理論武装して我々を集愚化しようとしています。
なんか怪しい会社の名前も後者の方に良く似ているのは偶然!?(辺苦照→さてどう読むでしょう?)昨日、レッスンでお話しした生徒さんのお知り合いに、防衛関係の方がいて、地震の2〜3日前に電話を頂いた時、とても奇妙なお話をされたそうです。
「これからそちら(東日本)も大変になるから、気を付けてお過ごし下さい。」との内容だったらしい。
特に親しくしていた方でもなかったので、逆に電話を頂いたという事実が不思議だったらしいのだ。
「天知る 地知る 人が知る」
ハロー・バイバイの関氏ではないが、「信じる信じないはあなた次第」って事ですが.....。
先日、余震とされている"事象"の為グラグラっときた時、間が良いというか丁度のタイミングでインターホンに呼び出された。
「あの〜.....。今地震が多発しているじゃないですか〜.....。皆さん不安を抱えて生活.....」
先方が言い終わるか否かでピンときたので「この期に及んで恥ずかしくないんですか!? お宅、宗教の勧誘の方ですよね!? 布教するお時間をボランティア活動とか募金するとかに使われたほうが宜しいかと存じますが!!」
と窘めた。
相手も相手で強かな者で、
「そんな事はやってます。」と粗めの語気できた。
ちょっとムカッ腹立てたんでしょうね。
喧嘩買ってくれてアリガトさん。
私も頭使って答えました。
「あなた方にとって、きっと人道的行為は"そんな事"って言葉で括られてしまう程度の事なんでしょうね。」と返してやった。
結果は推して知るべし。
追い返した後で凄く哀しくなってきた。
何万何千という人々が命を落としたり、被災生活を余儀無くされている。
−トホホ…「保安院」が逃げてた! 常駐職員1週間で“現場放棄”−
爆発事故が起きた福島第1原発に常駐していた保安院の職員7人が、地震発生後約1週間、現場から約60キロ離れた山向こうの福島県庁に“避難”していたことが分かった。
未曾有の危機にある原発の現場に1人も職員を置かずに、どうやって保安を担っていたのか。
「保安院は不安院だ」。いらだちの声も上がっている。
全国各地の原発には、原子力保安検査官、原子力防災専門官、核物質防護対策官といった同院の技術職員が常駐している。
福島第1原発では、7人の職員が業務に当たっていたが、15日に現地本部が60キロ先の福島県庁に移った際、ともに移動した。
地域住民に対する避難指示は、地震直後に周囲3キロ圏内、翌12日に10キロ圏内に拡大され、職員らが移動した15日も20キロ圏内だった。
同院は、自衛隊や東京消防庁の注水が奏功し、放射線濃度が落ち着き始めた22日、2人の職員を現場に戻したが、住民よりも、さらに先の安全圏に移っていたことになる。
同院の西山英彦審議官は22日の会見で、職員を福島県庁に撤退させた理由について「安全性に問題があり、人間が暮らすには不便が多かった」などと釈明。
食料などの物資の運搬が困難なことを理由に挙げているが、額面通りに受け取る人はどれだけいるか。
2011.03.23付 ZAKZAKより転載
原子力保安(不安)院の連中は特に劣悪極
まり無い。
どうしようもなく、恥ずべき行為を働いてい
る。
悪事と呼んでも良い。己が身命を賭して原発のメルトダウンを抑え込みに突入して行ったハイパーレスキューや自衛隊の方々.....。
根本的な今回の大災厄の真相を知らずに大役を務めていらっしゃる。
天晴れとしか表現する言葉が無い。
彼等を英雄と呼ばずして、何の英雄か。
宗教を勧誘する暇があったら、真剣に祈りを捧げて頂きたい。
こんなにもこんなにも美しい国日本に。この世界は本当に「不安を煽って商売している魑魅魍魎達」が跋扈している。仕事の本来あるべき姿は、相手に癒しを与えるべきものと考えるが如何に?何故、己すらも望まぬ迷宮に引き込み、骨の髄までしゃぶりつくそうとするのか!?
震災後の閉塞感で息が詰まりそうになっている生徒さんも時節柄多くいらっしゃいます。
「こんな受難の時に音楽掛けて歌ってもいいのかと思ってしまいます。」
と、回りを見渡す控えめな生徒さん。
「大いに結構。フィジカルを充実させる事で、明るく前向きな気持ちになれますから。」
と、私。
第二次大戦中、人々をポジティブに支えてくれたのは「歌」だったではないか。
お袋はそう言っていた。
まるで戦争さながらの状況の今、また日常に戻り勇気を与えてくれる「歌」があるではないか。
皆さん、レッスン終了時にはスキッとした表情をされるので、その瞬間に会いたくて私は音楽・歌に携わっています。
「先生、歌って何かエネルギーが湧いてきますね。」と喜んで頂けます。
「遠慮無く、でかい声で歌って表現して楽しんで下さいね。」
そしてお互いの幸せな気持ちが明日へと繋がっていく。