7/10(金)に検査後即入院致しました。
診断結果は「右脳出血」でした。
暫く入院しなくてはならない事を学校から帰って来てから知った娘は「寂しいよ」と泣きじゃくったらしい。
CT検査した後、車椅子が出て来たので、腹括りました。
「嗚呼.....とても重症なんだな.....。」と。
二度と歌えなくなったら.....。
とすぐさま不安が頭をよぎる。
こんな時でも歌が心配なのだ。
修羅場かい潜って来ただけあって、自分の本分だけは見失ってなかった。大したものだ。
そう思った。
診察室で担当の医師からこう告げられた。
「

さん良かったですね〜。もう少し遅かったらあなた死んでいたかも知れませんよ。助かっても半身不随だったでしょうね。」
カミさんは微動だにせず傍でその言葉をしっかりと聞いている。
彼女なりにその時は覚悟していたらしい。
根っこが太いカミさんも見上げたものだ。
CT画像を見せられながら説明を受ける。
脳室(脳の間の隙間)に血液が流れ込んでいたらアウトだったらしい。
「不思議な事に、奇跡的と言いますか、脳室へと出血が広がっていないんですね。ぎりぎりで止まってますね。」
大きさで大体直径2.5Cmの出血痕らしい。
確かに脳室ぎりぎりで白く映った出血跡が止まっている。
7/6(月)午後のレッスンの時、吐き気を伴う頭痛に苦しみ、左手の感覚も無くなってしまった。(視覚では捕らえられるのに、右手で触れに行けない。)
しかもそれから丸二日しゃっくりが止まらなくなってしまい、翌日火曜日に近所の病院へ行った。(3年前に行った件の病院)
これがそもそも大誤算だった。循環器科へ通されかつ大した精密検査も行ってくれなかった。
しゃっくりの原因は「心因性」とされてしまった。
3年前のリンパ腺腫脹も「ストレス性」と診断された事を経験しているので、責任感の欠片も無い再びの診断に腹が立った。2人の医師がかかりつけで診察しているのに、2人目の医師は私の顔を覗き込みながら「本当に心因性なんでしょうかね〜?」とおちょくったように話掛けてくる。
その瞬間アッパーカットでもかましてやろうかと思った。
舐めてんじゃね〜よ!!
しかも医者仲間を売るような真似しやがって!!自分の暴力衝動も含め色々な意味で危険なので今後はもう二度とこのI間川病院には行かないつもりだ。案の定、金曜日の朝に再び体調不良となり検査即入院になってしまった。
誤診による大迷惑を蒙ってしまった。
おかしいと言えば水曜日の夜もおかしかった。
降りるべき駅のアナウンスを聞いているのに何故か乗り過ごしてしまい、終点から引き返してはまた同じような行動を繰り返してしまう。
多分、記憶障害を起こしていたのだろう。
時間感覚がぶっ飛んでしまい、一時間が五分程度しか経っていないように感じてしまう。
木曜日もこの状態が続いた。
仕事には穴を開けなかったのが美徳だったが、ここにきて生徒さんを始め皆さんに多大なるご迷惑をお掛けした。
恥ずかしい限りだ。
スポーツ心臓かつ不整脈を抱えている状態で(今回発覚)、日頃から過大なストレスが徐々に血圧を亢進させ、脳出血を引き起こしたらしい。
再発したら命の保障は無いとの事。
入院初日はHCU(重症患者専用の部屋)へ入れられ、点滴に繋がれた状態で過ごした。
消灯後何時間経った頃だったろうか?
同室の二つ隣のベッドで死後処置をしていた。
「手を組ませて.....瞼が開いてしまう場合は.....」何たらかたらとの介護士さん達の声が聞こえてくる。
もしかしたら自分もその処置を受けていたかもしれなかった。
翌朝、HCUのラジオから一十三十一(hitomitoi) の「ダイヤモンドレールウェイ」
が流れてきた。→
http://www.youtube.com/watch?v=6NpSn_VJNFoもう忘れられない自分の人生とリンクしたナンバーになってしまった。
ハーフトーンボイスが優しくて超絶に綺麗なChill Outした曲。
窓から差し込む朝日。
思いがけずふと泣いてしまった。
「生きていて良かった.....。生かされたんだな.....。
これからは頂いた命を大切にしていかなくては。」
生きればこそ、こうして音楽に触れる事も出来るのだ。
6/30に実家の愛犬ヤマト(柴犬)が老衰で亡くなり、日曜日に実家に供養の為戻った直後に私は倒れた。
お袋とヤマトが私を守ってくれた。
カミさんがそう言った。
自分もそう思った。
7/12(日)に一般病棟へと移り、薬は点滴から投与へと変わった。
二度目のメディカルチェックを行った。
ナースステーションで説明を医師より受ける。
「

さん.....。
経過は大分良いですね。また不思議な事に第五脳室があるんですね。
普通は赤ちゃんの時期を過ぎるとここは無くなってしまうんですが、

さんは未だあるんですね。」
との事。
すかさず「だからおつむが子供のまんまなんでしょうかね?」
と私は切り返す。
ナースステーション(爆)。
やはり笑いは気持ち良い。
ずっと病室の天井とにらめっこを続けているので、とても気が紛れる。
お見舞いの方も沢山来て頂いた。
風呂に入れないヨレヨレの私はどんなにか薄汚れて見えたのではないだろうか。
12日(日)は実家の父、弟夫婦、お義父さん、カミさん方の弟夫婦と姪っ子、カミさんの従兄弟ご一家、男気に満ちたナイスガイな生徒のKさん&N君、皆さんにご足労お掛けした。
翌週19(日)は女生徒Aさん&Kさんのベリービューティーコンビ。
皆さん誠に有難う御座いました。
健康体に戻って恩返し致します。
入院中、昼間は正直眠くて仕方なかった。
何故なら、消灯後、決まって同室の連中が夜中にTVを見るからだった。(それも3時とか5時頃だぜ!!窓際の爺様なんかは消灯後直ぐにTVをスイッチオン!! 皆昼間はガーガーいびきをかいて爆睡しているのに!!)睡眠不足の為、頭痛が毎日のように私を苦しめる。
鎮痛剤を処方して貰い、飲んで痛みを散らしていた。
隣のベッドの男の女房はいつも昼過ぎに見舞いに来て、一緒のベッドで昼寝して面会時間を大幅に過ぎてから家へ戻るを毎日繰り返している。或る日看護婦さんに見つかった時などは「あらあら、どうぞごゆっくり.....。」と注意もされなかった。
人の恋路を邪魔する者は......也か?
ご休憩料金を払わんかい!!確かこの時期は小学校も短縮授業で午後は子供が家に居る筈だ。
人事ながら母親業をまっとう出来る訳が無いと思った。
ウチの息子と同じ年頃の娘が見舞いに来ていたのを以前見かけていた。
駄目だこりゃ.....。
どうしょうもないな。
一生入院して思考回路もしっかり治療して下さいな。
隣のベッドの旦那は命を助けて貰ったにも関わらず「余計な事しやがって」とか第一発見者の方の悪口言ったりとかしていた。
恩知らずとはこういう人を指す。
お隣さんとはカーテン一枚だけの隔たりなので、ついつい会話が聴こえてきてしまうのだ。
一週間分の鎮痛剤を二日で飲み干してしまうという快挙に看護婦さんも驚いていた。(ひょっとしてこいつ真性ジxxxーか!? 死んでまうで!!)
私は三食お粥の生活は卒業して早く陽の当たる場所に出たいのだ。
無性に風呂に入りたい。(一食抜いても良いから風呂っ!!)
やっぱり何処へ行こうがKY(勿論価格安いではない方の意味)さんはいらっしゃる。
少なくとも人の治療の足を引っ張るような所業は謹んで貰いたいものだ。
看護婦さん達の仕事は本当に大変だと痛感した。
消灯後は徘徊老人の後を追い駆け西へ東へ。
寝ている暇も無いとの事。
さながら野戦病院のよう。
仕事中に倒れ、救急で運ばれる人ばかり。
昼夜問わず救急車のサイレンが聞こえてくる。
逞しくて頼もしい感じの看護婦さんもいたりして会話が楽しかった。
「ベッドは余裕があるんでまた運ばれても大丈夫ですよ!!」
とか軽くいじってくれるので逆に安心感につながる。
彼女が病室を覗きに来ると必ず親指を立てて「

さんばっちりですか!?」と声を掛けてくれる。
「座薬でかいの入れます!?」
とかジャブをかましてくれる。
「いや。いいっす。」と私。
実は頭痛の鎮痛剤を投与される前に別の看護婦さんから鎮痛用の座薬を処方されていたのだ。
うら若い女性にご開帳するのはとても恥ずかしかったが、「えい!!ままよ!!」とばかり通過儀礼を済ました。
早く治療を終えるには覚悟が必要だ。
今はブログで毒ガス抜きが出来ているので少し体調が戻りつつある。