2006年10月31日

学級崩壊と再生への模索 −「ならぬ事はならぬ」− 世俗を離れ 人として

先日息子の通う小学校で授業参観があった。

パソコンの授業が一時間目に行われたりと、IT社会の煽りを受け小学校一年生にして電脳化され始めている。

私の少年時代とは隔世の感がある。

お題はソフトを使用して絵を描く事。

元々「書いて覚えろ」と言われ学んできた自分と違い、筆を持つ事無くお絵描き迄パソコンを使用するようになってしまった。

末恐ろしいアンファンテリブル、デジタルの時代。

そして今や社会的問題となった学級崩壊が、この時既に身近な水面下で始まっていた。





以前から何かしら釈然としなかった事があった。

「K君」が父兄の集まる機会にいつも欠席している。

この日(11/28・土)もそうだった。

運動会や授業参観等、親が集まる時には必ずと言っていい程、人目を避けるが如くお休みする。

それを許している学校側もおかしい。

腑に落ちない。





数週間前の出来事だった。

担任の先生より授業を見学しても良いとの御達しがあり、カミさんが息子のクラスへと出向いて行った。

K君は幼稚園時代から「暴力行為」ではかなり名を挙げていた。

殴るわ蹴るわ、悪態をつくわ、挙句の果てに脱走する.....。

同級生はおろか担任の保母さんにも同様、容赦無しなアナーキスト振りであった。

噂には聞いていたがこの日遂に、その酷い有様をカミさんは被害者として目の当たりにする事になってしまった。

参観日が抜き打ちだった為、いつもこうした機会には必ず休んでいるK君が、たまたまこの日は登校していたのだった。

行き掛けに校門でK君とばったり会ったカミさんが一言「教室に戻りなさい」と促した所、「うるせえ!! クソババア!! 説教してんじゃねぇよ!!」との賜られ、蹴りを入れられたらしい。

同級生の父兄も一緒だった為、対面を気にしてか仕返しはしなかったそうだ。

私だったら間違い無く蹴り倒す。(怒)

教室へ入ってみると早々と入室した何組もの父兄と思しき方々が。

暫く経って男子生徒が、腫れ上がった頬をタオルで冷やしながら教室に戻って来たそうだ。

何とK君がその子の顔面を殴って怪我をさせてしまったらしい。

当の張本人はさっきすれ違ったばかり、脱走癖のせいで教室にいる訳も無かった。

校長先生と教頭先生の監視下、物々しい雰囲気の中父兄参観は終了した。

息子に問い詰めた所、担任教師を含めたこの三人掛かりの授業は珍しくないらしい。

いつも被害者は件の殴られた児童。

それもほとんど日常茶飯事。

すぐそこに存在する教育現場の荒廃.....。

どうしたらいいのだろうか?





【イジメ問題に「什の掟」問い合わせ続々】

北海道と福岡の児童・生徒がイジメを苦に自殺するなど、学校でのイジメが社会問題化する中、江戸時代の「什の掟(じゅうのおきて)」が教育関係者の注目を集めている。

会津藩が藩校「日新館」入学前の子供たちに唱えさせた掟で「弱い者をイジメはなりませぬ」など7項目と「ならぬ事はならぬものです」の結びの1文で構成される。

現在は博物館となっている日新館には、全国の学校から問い合わせが連日届いている。

什の掟は、会津の子供たちが叩き込まれた武士の心得だ。

5代目会津藩主松平容頌(かたのぶ)の家老田中玄宰(はるなか)が「会津藩の興隆は人材の育成に在り」として藩校「日新館」を開学した1804年頃出来たといわれる。

当時、日新館入学前の6〜9歳の子供は、遊びの集団「什」を作って遊び、夕方には反省会で「什の掟」を毎日唱えたという。

現在は博物館となっている会津藩校日新館には、全国の教育関係者から問い合わせが相次いでいる。

同館によると「九州、四国を含め、全国の小学校の校長先生から『現代風に変えて子供たちに教えたい』という声が多い」という。

什の掟は昨年、藤原正彦氏のベストセラー「国家の品格」(新潮新書)でも紹介され、今年は歴史雑誌などで特集も組まれた。

会津が地元で「黄門さま」と注目を浴びた民主党の渡部恒三前国対委員長(74)も度々引用する等、全国的にも知られるようになった。

警察庁が調べた昨年1年間の全国のイジメ関連の暴行等の事件は、最近の10年間で2番目の165件で、イジメた理由は「力が弱い、無抵抗だから」が1位(27・3%)。

こんな現状が、什の掟の「ならぬ事はならぬ」の精神の再評価に繋がったようだ。

日新館には座禅や弓道などの武道体験による精神修行の場もあり、修学旅行に訪れる学校も多い。

これまでは近県の小中学校が主体だったが、最近は高校も増え、中国地方の高校から「海外旅行を会津旅行に変え、侍の文化を教えたい」と下見に来た教員もいる。

見学校は年間300〜400校。国外からの問い合わせも増え、今年は台湾からの修学旅行があった。

教育を巡る問題では、受験対策の為の必修単位の未履修問題等の不祥事も発生している。

日新館では「教育は今日明日に結果が出ない100年の計だが、子供の模範たるべき大人が先ず再認識する必要がある」としている。

−清水優−

[2006年10月29日7時52分 日刊スポーツ紙面から]





K君は自分が世界の中心に存在しないとすこぶる機嫌が悪いらしい。

母親ですら自分の体調不良を盾にし、第三者の忠告や進言に対して全く耳を貸さない。

いや、関わり合いを持とうとしない。

「私は健康に自信が無いので.....」と責任放棄。

でも毎日元気に働いている。

彼が通っていた幼稚園の園長先生も嘆いていたそうな。

暴言と暴力、それによって感じる心と体の痛みを、親は身を持って我が子に教えるべきなのではないだろうか?

「お前は痛くないのか」と。

兄弟も荒み切っていて、高校生のお姉さんは人目も憚らず、タバコを吹かしながら幼稚園にK君をお迎えに来たそうだ。

親に貰った小遣い銭でそんな事してるとしたら、とんでもない大馬鹿者だな。

高校生位なら格好付けて「大人の真似事」をしたくなったりするんだろう。

私達の時代もそうだった。

綺麗事かも知れないが、そんな行為に全く興味の無かった私は「人目が気になるならやらなきゃ良いのに」と思っていた。

「大人=怖い」のイメージがいつの時代からか無くなってしまった。

近所にも必ず「カミナリ親父」がいて、手こそ挙げなかったものの、親同然に怒鳴られたりしたものだ。

私の父も「大人は偉いんだ。お前が悪い。」と不平不満に対して取り合わなかった。

社会に自浄作用があった事を父の言葉が代弁している。

尤も現代では肝心の大人が「人として」汚れ切ってしまっているが。





以前、小学校の教師として務めていた私のお弟子さんがいた。

志が高く真面目だった彼は、当たり前のように子供の喧嘩の仲裁に入った。

子供の証言を元に原因を探り、当事者同士を和解させようと試みた。

喧嘩の原因を引き起こしたであろう男子児童も自分の非を認めた。

だが.....。

「子供の人権蹂躙だ」と加害者の母親が小学校に直談判、教育委員会に学校側の不手際としてチクられるのを恐れてか、彼は校長から退職を強く命じられた。

「呼ばれた意味が判ってるんだろうな?」とはっきり校長に言われたらしい。

彼が教職を追われたのは言う迄も無い。

涙ながらにその事実を訥々と語っていた。

先日、不幸にもパワーハラスメントで自殺した千葉県の教職員がいた。

教育現場は戦場だ。

しかし彼は耐え難きを耐え、そして今は実家で祖母の看病をしながら母と三人で暮らしている。

しつこいようだが、「青雲の志」を彼は自らのフィールドに希求していた。

屍累々とする中を人の気持ちを踏み躙りながら生き残ろうとする「体制側」が存在する。

これ程日本という国家が堕落し荒廃してしまったのは、教育界と親の双方に責任がある筈だ。

人として恥ずかしく無いのか?

人として繋がる事が出来れば、教師と親は限りなくニアイコールで結ばれる筈である。

どんな世界にも本物と偽者が存在する。

だが本物だけが馬鹿を見ている。

こんな悲しい時代に生きている。

しかし少しづつ変革していかなくては。

今年六月頃、同じ硬派な(!!)考えをお持ちの方のブログにコメントした内容を思い出した。





『以前電車の中で目撃した出来事です。

車内でむずかる子供をヤンママと思しき母親がたしなめる為、駅に電車が止まる度に何回も子供をホームに出し、「置いてくよ!!」と半ば脅しておりました。

そうこうする内子供は泣き止んだのですが、隣に腰掛けていた熟年のご婦人が「いい子ですね〜。ママの言う事良く聞くんですよ。」と優しい声を掛けた途端、「あんたに言われる筋合いはね〜んだよぅ!! 馬鹿野郎が!!」とその母親は巻き舌でゴロ巻きました。

ご婦人の逆隣には、その母親の友人の金髪の母親が子連れで座っております。

「そ〜だ、そ〜だ。」と言わんばかりにご婦人目掛けてガン飛ばしてます。

哀れご婦人は悲しそうにうな垂れてしまいました。』





これがノンフィクション。

信じられない事ばかり起きている。

が、自分を信じるしか無い、出来ない。

「ならぬ事はならぬ」

それ無しにはどうにかなってしまいそうだ。


この狂おしい現実。





"What A Wonderful World" Louis Armstrong   成瀬隆範訳


僕には見えるんだ 緑の木々や 赤い薔薇が

僕らのために 咲き誇っている

だから僕は思うんだよ 世界はなんて 素晴らしいんだろうって



僕には見えるんだよ 青い空や 白い雲が

輝かしい日の光 神聖な夜

だから僕は思うんだよ

世界はなんて 素晴らしいんだろうって



空にかかっている 素晴らしい虹色

道行く人は 希望に輝いている



友達同士が握手をして あいさつをしている

本当に人間愛に満ちていて



赤ん坊の鳴き声が聞こえる 彼らが大人になってゆくのがわかるんだ

あの子達は僕らよりも もっとたくさんのことを学んでゆく

だから僕は思うんだよ 世界は なんて素晴らしいんだろうって



僕は思うんだよ 世界は本当に素晴らしいんだって
posted by さぶらい at 01:26| 信念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする