2007年12月25日

「聖なる夜に」 今年もサンタがやって来た。

オリジナル(!?)クリスマスツリー


大人にとって、言わずもがな子供にとっても肝心要の年末恒例クリスマスイブ。

私は小学校5年生位迄はサンタクロースの存在を信じていた。

今は親の立場になり、その「存在」に対して子供達が懐疑心を抱かないように色々と試行錯誤している。

サンタを労い、欲しいプレゼントの内容を伝える為、毎年玄関にクッキーと子供達が書いた手紙を置く事にしている。

サンタがやって来たら手紙を読んだ上回収し、クッキーを頂いた上プレゼントを置いてゆく.....と子供達には伝えてある。

今年は幸いクリスマスイブが旗日となったので、私も直接関われるようになった。

一ヶ月前、息子はプレゼントに自転車が欲しいと言っていたので、内心「隠す場所も鼻から無いし、夜中に自転車を買えるお店が無いし、いつ買いにいったら良いのだ?」と不安でしようがなかった。

程無く「やっぱり別の物が良くなっちゃった」と方針変更(笑)したので、非力なサンタはホッと胸を撫で下ろしたのだった。

その点娘は未だ幼いもので、アンパンマングッズに御執心な為、プレゼントの運搬に手間が掛らなかった。




生徒さんで中学1年生の男の子がいる。

以前レッスンの時にいきなり質問された。

「先生、ウチには煙突が無いのに毎年プレゼントが届くんだ。

何でだろう?」

今時の中学1年生ともなれば、日に日に大人びて、サンタの存在など絶対に信じている筈は無い。

禅問答の類、はたまたトンチ噺を持ちかけられオチョクラレたか?

しかし、事の真偽を尋ねているその瞳は清清しい限りだ。

きっとこの子は未だ疑う心を持ち合わせていないんだ。

ならば大芝居を打つしかない。

「それはね、サンタは神様みたいなものだから、僕等の家の鍵は全て開けられるし、しかも自由に出入り出来るからだよ。

煙突があるのは外国の家が多いし、日本の建物は煙突が無いものがほとんどだし。

でも国に関係無く、良い子のウチには必ずやって来て、御褒美にプレゼントを置いてゆくんだよ。」

「でも先生、アフリカの子はプレゼント貰って無いみたいだったよ。」

一瞬ひるんでしまった。

が、悟られまいと直ぐに返事した。

「子供の時に運悪くサンタが来なかった子供は、大人になってからプレゼントを沢山貰うんだよ。」

この大嘘つきの腰抜けめ!!

本当の事を何故言わない!!

自分が大ボラ吹きに思えて仕方が無かった。

でもこの少年はそのまま私の答えを受け取ったのだった。

「ありがとう。」と。





ガーナというアフリカの国がある。

「ガーナ・ミルクチョコ」

よく聞くネーミングだ。

チョコレートの原料のカカオはこの国で採れる。

産出量は世界で第3位の31万1000トンである。(2002年度 FAO調べ)

CMで見るとほのぼのしてて、食べると何だか幸せな気分になるみたいだ。

だが裏事情はかなり違う。

以前TVでオンエアされていた番組で紹介されていた。

カカオ農園では地元の貧しい子供達が、農園主に体罰を喰らいながら重労働に耐えている。

家族達の生活を支える為に自ら望んでだ。

勿論、年端もいかない幼子達はチョコレートなぞ一度も口にした事が無いらしい。

全て「先進国」という名の「一番心の貧しい国」へ輸出される。

そこで製品化されココアとなり、チョコレートとなるのだ。

農園で働く子供達の瞳は件の少年同様、澄み切っていた。

こんな劣悪な環境も決してデスパレートじゃないんだ。

明日を絶対に信じているんだ。





ブログを書き終えたなら、年明けに2次オーディションを控えている生徒さんのオケの最終仕上げをしなくちゃ。

サンタとしての仕事(?)はまだまだ残っていて、なかなか床に就く事は出来ない。

その娘にはこう伝えた。

「今はこうして先生と生徒の立場でケアをしてあげられるけれど、もうじき自分で頑張るしかなくなるよ。

プロというものはそういった意識が必要なんだ。

何も言い訳が通用しなくなるからね。」

神妙に聞き入っていた。

御褒美は自分で。

そう思っていたのかな?





子供達とカミさんは早々と寝入っている。

夕食後、子供達は神仏にお祈りするかの如く手を合わせ(笑)、欲しいプレゼントを天空のサンタにおねだりしていた。

「パパが怒る事したらサンタは来ないの? どうしよう。」と心配してたけど。 

無事に今年もサンタがやって来た。

私自身、「サンタが来てくれて」良かったとつくづく嬉しい。

息子と娘のイマジネーションから「サンタがいなくなる日」はいつの日だろう?

お前達が今夜作ってくれたケーキ、怒りっぽいサンタは美味しいって言ってたぞ。
posted by さぶらい at 03:09| 歓び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月07日

心温まる出来事。

「老犬が認知症女性救う、氷点下の公園で一夜寄り添い…茨城」


茨城県東海村の認知症の女性(73)が5日朝から行方不明となり、約30時間後に自宅から約5キロ離れた同県ひたちなか市の公園で無事、保護された。

氷点下の屋外で一夜を過ごしたとみられるが、女性の傍らには中型犬(雑種、オス)が寄り添っており、ひたちなか西署は「犬を抱いていたため毛布代わりとなり、体温低下が避けられたのではないか」と話している。

同署によると、女性は5日午前7時半過ぎ、家族が目を離したすきに自宅から姿が見えなくなった。
セーターに薄手のジャンパーという軽装だった。家族の捜索願を受けて同署や消防団で捜索していたが、6日午後1時ごろ、たまたま公園を通りかかった男性が見つけ、女性と犬を同署に連れてきた。
女性は自宅から公園までの道のりを歩いてきたとみられる。

読売新聞   12月7日3時12分配信





ホッとしますね。

人として生まれた事の責任を感じます。
posted by さぶらい at 09:54| 歓び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月09日

家族が新聞に!!

すもも狩りっ!!

出てしまいました。w( ̄Д ̄;)w

それも実際の新聞にはトップページにでかでかと。

恐るべし埼玉新聞.....。
posted by さぶらい at 02:21| 歓び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月22日

努力する事の美しさ

先日、息子が帰って来て声を上げ悔し泣きをしていた。

聞く所によると算数の時間に計算問題を出題され、全十問中一問正解出来なかったらしい。

大人のセコイ小市民的考え方で纏めてしまうと、「な〜んだ。じゃあ90点だな。赤点じゃないね。」といった別の見方で安堵してしまうだろう。

でも涙の訳は心の意外な場所にあった。

一問でも解けなかった事は確かに悔しかったのだが、友達の心無い一言が勘に触って仕方がなかったそうだ。

「お前はXXX(学習塾の名前)やってないからだよ。」

そう言われたらしい。

ここには沢山の児童が通っている。

子供ながらにセクト意識に傷ついた。

「ハブにしてんじゃねぇよ!!」そう思ったんだろう。

案外、イジメなんぞはこんな些細な事から始まるんだろうな。

ガキらしく理由がちいせぇちいせぇ.....。

タイマンでも張って、俺の目の前で決着つけな。



小学校一年生とは言え学習塾に通っている子供は多い。

中には週5日も塾に通っている子がいる。

でも今遊ばなくていつ遊ぶんだい?

噂には聞いていたが、小学校一年生とはいえ、二学期からいきなり難易度が上がるんだな。

実際見てみると一学期と二学期ではカリキュラムの差が歴然としていた。

ゆとり教育とやらがこの辺で軌道修正か?

そう思えてしまう程。

塾に通う意味は「コツ」を掴む為にあると思う。

決して難易度の高いものをお裾分けして貰う為にあるものでは無いと考える。

極論を言ってしまえばショートカットする道順を教わるようなものであろう。

「コツ」を易々と身に付けた所で、深く渡らなければ本当に理解した事にはならないのではないか.....?

汗して涙して心や体に刻みつけながらモノにしていく。

それ程確かなものは無い。

根性という言葉は大嫌いだ。

自分を偽り無理に迎合し、強がって見せているような響きがある。

それに対し努力という言葉は気高く美しい。

目標を定めて上り詰めていく。

それも自分の力を信じ。



その夜、息子は外遊びから帰ってから後、計算練習108題と漢字書き取り336文字をやってのけた。

誰が指図した訳でも無い。

自らが課したのだ。

翌日息子のノートには赤ペンでこう記してあった。

「よくがんばった。すばらしい。」

花丸の横でちょうちょが踊っていた。

担任の先生は男なのに(笑)。



大した奴だ。

まだ小さなお前に男気を見せてもらったよ。

だけどまだ近道はしない方がいいな。

失敗を糧にして喜びを掴み取るがいい。

私の目の前には、自慢げにノートを広げる満面の笑みのお前がいる。
posted by さぶらい at 02:17| 歓び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月05日

夏の終わりに

海岸にて

月が改まり久々ブログを書き込んでいる。

8月は気分に少し余裕を持たせる為、療養(?)も手伝ってか全く更新をしていなかった。

「ほぼ日刊イトイ新聞」のようにモンスターブログならばいざ知らず、徒然日記といった性質上、小まめな更新を義務化するのは如何なものか...と、手前味噌に理由をこじつけている。

7月下旬に原因不明のリンパ腺腫脹と39度の高熱に見舞われ、その後も暫く不調な日々が続いていた。

こういった場合、大概に於いて医者の結論は「ストレスかな〜。仕事休めます? そうしないと治らないよ。」である。

「原因が判らないから解熱剤だけ出しとくね。」とのたまわれ、すっきりせずに渋々病院を後にした。

3本も血液検査したのにね。

解熱剤が切れるとまた熱がじわじわ上がってくる。

仕事の最中は無理にでもテンションを上げているので、自分でも病である事を感じないが、終わると同時にぐったりとしていた。

しかしいくら不調でも相手に迷惑を掛けたくない。

体調や気分のせいで回りに気を遣わせてしまったり、取り付く島も無い程人を不愉快にしたりする輩がいるが、迷惑行為は真っ平御免なので自分自身我慢している。

風邪すらひかず滅多に病気しない健康体が自慢であったが、ここに来て体のメンテナンスの重要性を再認識した次第。

もう大丈夫。

負けるものか。



その点、大人と違い子供はいつでも底抜けに元気である。

例え熱が高くてもね。

付き合っているとこちらのパワーをどんどん吸い取られそうになる。

こちらも負けじとエナジーを頂戴しに絡んでいく。

発想もユニークだし、大人にとっての「規格外」を「当たり前」に変えていく。

我々大人が忘れてしまったしなやかな感性、それがとても羨ましい。

思い切り遊びなさい。

遊びは新たな発見の宝庫だ。

いつでもワクワクしていたいね。

俺達だってそうだろ?



慌てて食べたら頭が痛くなったカキ氷

夜空を焦がした色とりどりな花火の光

蝉の音に想いを寄せる墓参り

波が怖くなくなった海水浴

夕立前の土埃の匂い.....

たおやかで感傷的な日々の出来事を、宝物を一つ一つ掘り起こすようにいつか思い出すだろう。

子供達にとって長いようで短かった今年の夏休みはもう終わってしまった。

だけどまだまだ人生の「夏」は終わらない。



生きて.....学ぶ

愛して.....学ぶ

泣いて.....学ぶ

無くして...学ぶ

血を流し...学ぶ

叫んで.....学ぶ


Alanis Morissette -You Learn- (1995)
posted by さぶらい at 11:00| 歓び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月06日

陽春

桜花の木洩れ陽

今年も桜の季節がやってきた。

例年花粉症とやらに悩まされ、満足な睡眠時間も取れず鬱々としているのだが、今年は拍子抜けする位に軽過ぎて物足りない。

今日は午前中オフの時間を利用してチビ2人と近所の公園に散歩に行った。

お年寄りとヤンママ軍団が大勢を占める為、当方はルックスさながら子連れ狼(笑)である。

飛び道具付きの木製乳母車とアイテムが違うだけだ。

ママチャリが似合う男なぞ滅多に居るまいて。

ロハスな野郎とは思われたくないが、肉体は元気なうちにフル活用するべきだと考えているので、最近はどこに行くにも自転車である。

駐輪場に自転車を停め下る坂道はまさしく桃色の絨毯、桜吹雪が舞い散り、至る所梅沢富夫や遠山の金さんの晴れ舞台になっている。

忙中閑あり、木漏れ日の芝生で手弁当を広げストレスだらけの脳内をアルファ波で一杯にする。

今頃実家の親父は花見はおろかてんてこ舞いに仕事が忙しくて大変だろうな.....。

でも桜が綺麗でいい天気だ。(笑)

申し訳無い気持ちがおにぎりを複雑な味に変えていく。

眼前の桜は当たり前の様に咲き、当たり前の様に散っていく。

健気であり、潔く、人を和ませ、故に美しい。

かってこの花の在り方が大きな過ちとともに政治目的に利用されていた時代があった。

咲き散るのも桜の自由意志によるものであるという事実。

ここに誰も気付かなかった。

自由は孤独の裏返しだ。

無理強いしたり強制されるべきものではない。

世の流れが変わりつつある.....気がする。

でも子供達にはずっと自由でいて貰いたいと願う。

チビ共が散った桜の花びらを集めては、悪ふざけして互いの頭にばら撒いている。

そんな相棒達が私を親にしてくれる。

自分で考え、自分で決めろよ。

若き日の親父がそう願っていたかのように、私も親父に“されつつ”ある。
posted by さぶらい at 00:09| 歓び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月12日

おめでとう!!

十数年来親交の深いマブダチが華燭の典を挙げた。

ギタリストの彼らしいライブハウスでの挙式と披露宴。

良き伴侶となる奥様もギタリスト同士である。

音楽で繋がれた赤い糸。

和やかでかつ晴れやかな場に身を置くのも自分の挙式以来久方振りである。

リラックスした雰囲気の中、11年前の自分をダブらせた。

私も音楽が縁(えにし)であった。

旧知の仲間や恩師と盛り上がり、亡くなったお袋も本当に楽しそうだった。

思い出し笑いをしながらふと気づく。

そう、幸せは「なる」ものじゃなく「感じる」ものなんだ。

羽のように舞い降り、柔らかくて暖かい。

形ではなく感覚なのだ。

列席者の方々皆さんの「場」を楽しむ気持ちがほろ酔い加減に伝わってくる。

どうか御両人とも末永くお幸せに!!

Stay True&Faithfully!!



posted by さぶらい at 00:47| 歓び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする